「信仰を持つ前の自分」を捨てる事と御言葉のパワフルさ

以下の証を書き始めたのは11月の中旬頃で、前回の証と話が前後します。遅筆すぎるのが神様に申し訳ないです。

私と同様なことを同じ御言葉ですでに悟られた方もいらっしゃると思います。でも今回はRAPTさんが伝える御言葉のパワフルさについて証したくて書きました。


いきなり「過去の自分を捨てろ」なんて言われたら「出家でもするの?」と思う方がいるかもしれません。

でも信仰を持つ前の罪だらけの自分を少しでも抱えていたら、泥だらけに汚れたまま白いソファに座ろうとするようなもので神様に嫌がられてしまいます。

罪をもったままだと神様と疎通などおぼつきません。神様と疎通できなければ閃きや構想もいただけませんし、自分の個性と才能がフルに使われることもないし、霊肉ともに成長することもできません。

成長できなければ堕落してしまい救いを逃すので、神様と疎通することは死活問題。

「過去の自分を捨てる」というのは「出家」などという退屈な話ではなく、愛する神様とつながるために必要最低限な事なのです。


言い訳になってしまいますが、年とってから信仰をもつようになった人間にとって、過去の自分を完全に捨てるのは簡単なことではありません。

特に私のように極めて罪深く、元々自我が強かった人間の場合はなおさらのこと。

私が人生の半分以上を過ごしたアメリカでは「自分の生きたいように生きるのが幸せ」という洗脳が日本より浸透しています。

そんな中で生きてきたので「自分」がより強固になってしまいました。私の証には「自分を捨てる」件がしつこく出てきますが、これは私の最大の弱点の一つなので…すみません。

「自分」と一言で言っても幾重にもわたっているので、一つ解決したらまた次、という感じです。

…1日も早く「自分を捨てた」状態が「当たり前」になりますように!


2か月前の証に書きましたように、神様が求めておられる「自分を捨てる基準」がやっと悟れたので、ピアノだけではなくほかの面でもその基準に自分を落とし込もうとしました。

そうしてこそやっと、先を走っている兄弟姉妹たちに追いつけるかも、と考えたのです。

神様が求めるレベルに気づいたことで簡単に捨てられたものもありますが、できずに四苦八苦したものもありました。

その一つは「仕事」で、もう一つが「過去の自分の些細な成功体験に対する意味のない自負」です。

今回取り上げたいのは後者のほうです。前者についてはこちらで証しています。

この自負は年配の親戚や母の友人に言われた誉め言葉に端を発しているような気がするのですが「後ろ盾も何もないのに一人で海外で生き延びて、女性だけど平均的なアメリカ人より稼いで一人でがんばってる」というものです。

そもそも私が今の場所にいるのは一人でできたことじゃありません。それは私が一番よくわかっています。

それなのになんでこんなに根拠なく高慢になれるのか自分でもわからない。

このような高慢な考えは本当に苦しいので、これが表面に出るたびに悔い改めて、消えてなくなるようにと祈ってきました。

それでも簡単には消えてくれず「どうやったら消せるのか」の答えを求めて祈りに必死さが増したころ、11月1日の御言葉であっさり解決できました。

該当有料記事は↓で

経緯は以下です。

この日の配信の中で「神様に愛されない人生は人間に愛されずに生きる野良犬のようなもの」とでていました。

RAPTさんが挙げていた「野良犬の性格」の一部が、信仰を持つ前の私に見事にあてはまっていて本当に痛かったです。

女性なので外面は人並みに気を使っていました。でも内面は混乱がひどすぎて地獄でしたし、効率を重視するあまり性格ががさつになった事とか、警戒心が強く不安で一杯で人のことを考える余裕が全くなかったところなどは本当に野良犬そのものでした。

何が痛かったか、って信仰を持つまでの私の生き様が神様の目からみて愛されない野良犬のようだと言われたことが一つ。

もう一つは、信仰を持つ前の私はサバイバルに主眼を置いて生きてきたわけですが、そんな苦しい生き方を選ぶ必要はなかった(そういう生き方をしてきた私は間抜けだった)のだ、と改めて気づかされたことです。

神様に従って喜ばれる生き方をしていたら、神様が生きるのに必要なものは必ず備えてくださいますので、苦しい思いをしながらサバイバルに躍起になる必要がそもそもなかった、という事…

頭ではわかっていたことですが、言い方を変えて言われてやっと悟れました。(RAPTさんの御言葉の素晴らしいところの一つは、神様が言い回しを絶妙に変えて、最初は悟れなかった人でも悟れるように宣布してくれることです)

愛する神様に「不要」といわれて私の中にしぶとく居残っていた「過去に対する自負」がショック死しそうになっていました。

そこで、こんなにも長い間つまらないプライドを持ち続けてしまっていたことを悔い改め、もう二度とこんな思いが湧いてこないように11月1日の配信を毎日聞くことにしました。

信仰を持つ前の自分の人生に頼ったりすることが決してないように霊肉魂に叩き込むためにはショックを受けた御言葉を何度も聞くのが一番いいかな、と。

譬えていうなら、殺虫剤をまいてもなかなか死なないGが確実に死に果てるようにしつこくスプレーし続ける感じです。

2週間くらい毎日きいていたと思います。お陰でもうあの根拠のない自負は湧いてきません。また一歩神様に近づけたようで、うれしいです。

今回は御言葉のお蔭であっさりと自分の中の嫌な考えをなくし、心を少し清めることができた、というお話でした。


嫉妬とか怒りとか憎しみなど、抱えていて苦しい感情や考えって誰にでもあると思います。

そういう負の感情がつもりにつもると精神を病んでしまうわけですけど、カウンセラーに聞いてもらったり、精神剤を飲むよりも神様に詳細に打ち明けて解決を祈った方が安全で確実です。

カウンセラーは間違える事が多々ありますが、神様は間違えることがありません。とても的確に色々な形で答えをくださいます。

今回のように御言葉に答えが出ることもあれば、日々の生活の中でとか、閃きで答えをもらうこともあります。神様がちゃんと働いてくださるからです。

全知全能な神様が自分と共にしてくださると確信をもち、神様と疎通しながら生きていくことが、この混迷と混沌だらけの世の中で生き残るための知恵です。

だからこそ力強く歩いて行けるのです。

どうか一度RAPTさんの有料記事を読んでみてください。

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