LGBTが人口の何%を占めるのか、については色々な説がありますが、6年前と較べて明らかに増えています。
たとえば去年の5月に出たギャロップ・ポールの記事によれば、2018年のアメリカ人の4.5%がLGBTで、これはこの調査を始めた2012年に較べると1%の増加になります。
サンプルサイズが34万人なので某新聞会社がやる「安倍内閣の支持率」みたいな世論調査よりは信憑性は高いと言っていいでしょう。
日本でも電通が似たような調査をして9%弱の数字だったようですが、日本の場合そこまで高いのは不自然です。増加があまりに急すぎます。この調査をしたのは電通で、日本でLGBT推進をする生長の家とズブズブなのでミスリードである可能性が高い。
話を戻します。アメリカのLGBT人口の年々の増加については下をご覧ください。

毎年確実に増えていますね。で、この増加のほとんどすべてが、1980年から1999年の間に生まれたミレニアルと呼ばれる世代によるものだそうです。
年代別にみていくと、ミレニアル世代におけるLGBTの確率は2017年で8.2%。他の年代とくらべても驚きの多さです。下にグラフを載せておきます。

年代が若ければ若いほどLGBTの%があがっているのがわかります。
ミレニアル世代だけここまでLGBT人口が伸びているのはなぜでしょう?
そう思って調べたところ、「ジェンダー・ニュートラル」というキーワードがでてきました。
ジェンダーニュートラルとは(コトバンクより引用)
ーーー引用開始ーーー
男女の性差のいずれにも偏らない考え方。もしくは、伝統的な性別による役割認識にとらわれない思考、行動、制度などを支持する考え方。英語の性別を意味するジェンダーgenderと、中立を意味するニュートラルneutralを組み合わせた表現である。
このような性差に関する考え方は、世界中で古くからあるもので、日本においても1970年代から社会的な性差にとらわれない社会を目ざすジェンダーフリー運動が継続的に行われている。また、国連は1997年からジェンダー平等の取組みを推進しており、男性と女性を区別し、それぞれの扱い方を変えることは間違っていると訴え、世界的に広く浸透させた。さらに、国連は、女性と男性の権利や責任、地位を得る機会は、性差によって影響されるべきものではなく、人はだれも個人として扱われるべきとして、これをジェンダー主流化gender mainstreamingとよんでいる。
こうした活動により、パスポートの性別の欄では「不確定indeterminate」、「第3の性third gender」の表記を認める国が増えたほか、性別を限定せずだれでも使えるトイレ(オールジェンダー・レストルーム)の登場、モード界では性差を超えたファッションが注目を集めるなど、さまざまな変化を社会にもたらしている。
ーーー引用ここまでーーー
確かに世界中で法律を改正したり、混乱が起きていますね。
そういえば、1990年代頃から「性差をなくす」という名目のもと、言葉に変化が起き始めました。
例えば、昔は警察官や消防士といえば男性の仕事で、PolicemanとかFiremanといった言葉を使っていました。見ればわかるように”Man”が含まれています。警察官=男性と性差を思わせる表現が気に入らなかったのか、Police Officer、Fire Fighter、と男性でも女性でもない表現に変わっていったのです。政治家はStatesmanだったのですが、今はPoliticianばかりが使われるようになりました。
大学のESLのクラスのスピーチでFiremanという言葉を使ったとき、教授にFire Fighterという言葉を使うように諭されたことは忘れられません。英語に自信がなくて劣等感を感じていたところに文化的にも遅れている、と言われたような気がして恥ずかしかったのを覚えています。
大学でこうでしたから、幼稚園から高校においても学校の先生が子供達に、同様に諭したのであろうと想像がつきます。当時の中学生がミレニアル世代の年配にあたる人たちになります。会話の中で何気なくPolicemanのように性差を明確に表す言葉を使い、私がされたように人前で恥をかかされたら「社会的な役割に性差があるのは古臭くてかっこ悪い」と、強烈に刷り込まれてしまうのではないでしょうか?
そして、自分が生まれ持った性らしくあること(男性なら男性らしく、女性なら女性らしくということ)をなんとなく恥ずかしく思うようにになる。
それを証明する記事があります。
2014年のUSA Todayから一部抜粋し、訳します。
ーーー(抜粋スタート)---
彼ら(註:ミレニアル世代)は若くて、自分たちがやりたいようにやるのが好きだ。だからステレオタイプを嫌い、ジェンダーのステレオタイプのような慣習を守ることを避ける。
とあるアンケートによれば、若い年代の間では、以前の世代の人とくらべてジェンダーを自分のアイデンティティとして考える人は減ってきている。
(註:LGBTは個性だ!「LGBTとして生きること=自分を表現すること」と言う割にはジェンダーを自分のアイデンティティとしない、とは矛盾です。LGBTにはこういう矛盾が多いです)
彼らは伝統的な性別の役割を守るのではなく、ジェンダーが自分にとってはどういうものか、をそれぞれ個人的に(好き勝手に)解釈している。
別のアンケートでは、実に60%の人がジェンダーの境界が曖昧になった、といい、ほぼ3分の2の人が「自分たちの年代が男らしさや女らしさの意味を変えていくだろう」とかんじている。そしてそのせいで、42%の人が今日のジェンダーの役割に混乱している。
彼らにとってはジェンダーは気分次第で変えられるもののようだ。「男」と「女」ではっきりとした境界線があるのではなく、ジェンダーと言うスペクトルの上をその日の気分で行き来する。ジェンダーに流動性がある。
その理由の一つとして、インターネットがあるだろう。オンラインゲームではアバターを選んでプレイするが、そのときに気分次第で男のアバターを使ったり女のアバターを使ったりする。世界中の人たちとゲームで遊ぶが、相手がどういう顔をしているのか、男か女かもわからない。リアルかアバターかわからなくなるし、どうでもよくなる。
ーーー引用ここまでーーー
すごい混乱しているのが伝わってきます。でも同時に、自分の気分で性を変えられること、気分次第で「男らしさ」「女らしさ」を定義できることが自由でかっこいい、と思っている節もありますね。
例えば自分が着る服を気分によってトップスは男、ボトムは女らしく、と選ぶことで「自分らしさ」を表現している気分になっているようです。でも毎日その気分が変わるのですから一体どこが自分らしさなのか不思議でなりません。
みんな同じようなことをしているから、みんな同じような見た目になっているというのに。
ジェンダーという自分の存在の基礎も固められず、混乱したままでいることが本当に自由でしょうか?私にはとてもそうとは思えません。
気分によって男成分70%に女成分30%、なんてやっていたら、自分の持って生まれた性別がわからなくなって、同性を好きになっても不思議ではありませんよね。体は男だけど、今日の気分は女だから男を好きになる、というように。
ジェンダーが混乱しているミレニアル世代にLGBT人口が増えるのは当然のことといえます。
普段使う言葉から性差を奪われて育ったミレニアル世代でこの有様です。問題は2000年以降に生まれた子供たち。
彼らの親がミレニアル世代なので、幼い頃から自分が生まれ持った性別らしくあることを教師や親から積極的に否定されて育っています。パパとパパやママとママがいる家庭が普通、とか、女の子はリーダーシップ、男の子は繊細、などと幼稚園の頃から言われて育つわけです。どういう大人になるのでしょうか。
海外からの噴飯もののニュースはまだまだあります。5歳児に性転換手術を許した親とか、世界で一番男女間の差別が少ないとされるスウェーデンでは男らしい男の子の親が学校にしかられたり、とか。最近ですと8歳のドラッグクイーンが夜のゲイバーでストリップを披露した、というのもありますね。もちろん親の公認で、ですよ。ここまでくると虐待にしかみえません。
「性による偏りをなくす」ジェンダーニュートラル、あるいは性差を否定するジェンダーフリー教育のせいで、社会がより一層変な方向に向かっていることをお見せできたでしょうか?
「ジェンダーフリー教育の弊害」
ジェンダーフリーについて調べていたら、「ジェンダーフリー教育の弊害」というドンピシャな記事をみつけました。元ネタは日本政策研究センターのHPにあった古い記事です。日本政策研究センターは日本会議とズブズブですから、そのサイトに書かれてあるすべての内容をそのまま受け入れるのは危険です。ですが、ことジェンダーフリー教育の弊害の件については核心をついていると思います。
あと興味深いのは、このページがなぜかアメリカでは閲覧できなくなっているということ。(ネットで探せばミラー記事はあります)ジェンダー・ニュートラルでいくのが時代の趨勢になってしまっているから、海外の人に読まれると都合が悪い、ということでしょうか?
一部だけ引用します。興味があったら、残りはこちらからどうぞ。
ーーーー引用開始ーーー
ジェンダーフリーは子供の健全な人格を破壊し、結婚離れを加速させる。そうなれば、家族が崩壊するだけでなく、社会の崩壊にも直結する。
「男らしさ」や「女らしさ」など、男女の性差を否定・解消しようとするジェンダーフリー教育が全国各地の教育現場に浸透しつつある。例えばピカピカのランドセルを背負って今春入学した一年生たちは、「男の子が黒いランドセル、女の子が赤いランドセルというのは親や社会が勝手に決めただけ」と言われ、ランドセルの色を男女で区別するのは間違いだと教えられる。また高学年の子供たちは、教科書やテレビ番組などの登場人物について、「男子がズボンをはき、女子がスカートなのはジェンダー・バイアス(性別による偏り)があるためだ」などと教え込まれ、そうした「バイアス」に敏感になるよう要求されたりする。
このように、ジェンダーフリー教育とは、「区別は差別」という観点から、男女の一切の区別を許さない極めて偏狭な人間を作るための洗脳教育なのである。そればかりか、その推進者たちが理想とするのは雌雄同体のカタツムリであるともいわれている。つまり、日本の子供たちを男でも女でもない雌雄同体の「無性人間」に改造してしまおうというのが、ジェンダーフリー教育に秘められた目的ともいえるのだ。
(中略)
ジェンダーフリー教育の最大の弊害は、何と言っても子供たちの人格形成に破壊的な影響を及ぼすことである。自我が形成される幼少期から思春期にかけて、男女の区別をしないとアイデンティティーが健全に作られず、場合によっては性同一性障害や同性愛などに陥ってしまう危険が、心理学者などの専門家によって指摘されている。
(下線は管理人による)
ーーーー引用ここまでーーーー
「雌雄同体のカタツムリが理想」とは、どこまで人間をバカにしているのでしょう?カタツムリということは思考回路すら持たずに本能だけでのろのろと生きる、ということです。そんな生き方をして幸せになれるはずがない。
雌雄同体、というとどうしても思い浮かぶのが悪魔のバフォメットです。バフォメットには男性器も女性の胸もあります。両性でもあり中性でもある。ジェンダー・フリーを推進する人たちは、子供達を悪魔のようにしたいのでしょうか?
(「また悪魔の話か」と思う方も多いと思いますけど、日本史や世界史を悪魔崇拝というレンズで見てみると驚くほど筋が通り、わかりやすくなります。「この世は悪魔が支配している」という事実を認められなければ、さらに混乱するだけです。詳しくはラプトブログに行き、例えば「織田信長」を検索)
そして見過ごせないのがジェンダーフリー教育が子供達の人格形成を阻害し、性同一性障害を作ってしまう、という部分。道理でLGBTが増えるわけです。特にトランスジェンダーが。。。そしてアメリカのようにトランスジェンダー女子がほかの女子と競争して優勝したりする社会になってしまいます。カナダだともっとひどいことが起きていますが、それは近いうちにご紹介します。
ジェンダー・ニュートラルやジェンダー・フリーを探るにつれ、フェミニズム運動との関連も見えてきました。そして、LGBTとフェミニズム運動は切っても切り離せないこともわかりました。特に現代猛威を振るっている第四波のフェミニズムではね。フェミニズム運動はLGBT、癌、原発と同様に複雑きわまりないのですが、次回はその歴史と変遷をまとめてみます。